『諦める力 勝てないのは努力が足りないからじゃない』(為末大 著/プレジデント社)
陸上100メートルから転向して天才ハードラーと呼ばれた為末氏の「前向きな諦め」のメッセージ。次作『逃げる自由』に続く、第1弾。
書籍情報
評価 | |
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購入形式(紙・Kindle・Audible) | 紙/Kindle/Audible |
出版社 | プレジデント社 |
試し読み | 可能 |
紹介ページの充実度 | 普通(Amazon紹介ページ) |
誰がどんな立場で書いた本?(年齢、職業、経験・キャリアなど執筆背景)
著者名 | 為末大 |
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執筆時の年齢(出版年-生まれ年) | 35歳(2013年出版-1978年生まれ) |
著者の職業 | 男子400メートルハードルの日本記録保持者(2013年5月現在)。2003年、大阪ガスを退社し、プロに転向。2012年6月、日本陸上競技選手権大会を最後に25年間の現役生活から引退。 |
経験・キャリアなど執筆背景 | 「前向きに、諦める ― そんな心の持ちようあるのだということが、この本を通して伝わったとしたら本望だ」との記述あり。 |
著者の関連サイト
為末大
@daijapan – Twitter
為末大学 Tamesue Academy|note
為末大 – Wikipedia
執筆経験、本書の準備期間
過去の著作点数: 10点
前作から本書発行までの経過期間: 『「遊ぶ」が勝ち』より1カ月
売れゆき(刷数・発行部数、書店ランキングなど)
5万部(出典:小学館ホームページ)
主観による評価
文体・雰囲気・謙虚さ | 冒頭、陸上を始めたきっかけのくだりで、自分のことについて「頭角を現した」という表現が使われていたのが唯一気になったくらいで、全体的にはスーパーアスリートなのに謙虚で、物の見方を変えてくれる気づきの多い本。 |
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他書からの引用、参考文献 | 普通 |
誤字・脱字 | 特に気づかず |
タイトルと内容のギャップ | 特に問題なし |
感想
天才ハードラーと呼ばれた為末氏の本、という点ではなく、タイトルの方に引かれて読んだ。
試しに図書館で借りて読んで「買ってもう一度読もう」という気持ちにさせた1冊。実際に購入して、再読。
スポーツ選手が書いた本を買ったのは、サッカーの長谷部誠選手の『心を整える』以来かも知れない。
全体を通して、為末氏の主張の方向性は想像の域を出ていなかったが、主張自体の深みや裏付けについては良い意味で期待を裏切られた。
メディアを通して見る引退後の為末氏は、いろいろなことにチャレンジしているようには見えるが、私には行く先が定まらずふらふらしているように見えた。ただ本書を通じて、ポジティブに「諦める」ことの意義が語られており、大変共感した。
ポジティブなネガティブ(ネガティブなポジティブ)
私は、一般的にネガティブと捉えられていることを良しとする主張が好きだ。
だから一見「諦める」というネガティブワードがどうプラスに作用するのか、知りたくてたまらなかった。
実際、「諦める」の語源は「明らめる」という解釈をしている本を何度か目にしたことがあるし、為末氏も文中で「むしろポジティブなイメージを持つ言葉」と述べている。
為末氏は
手段は諦めていいけれども、目的を諦めてはいけない
出典:『諦める力』為末大 著/プレジデント社
と言うが、私の考えは少し違う。
「諦める」が「明らめる」(明らかにして見極める)の意味ならば、目的であろうと「明らめ」ていいと思う。
それは別の【目的】を見つけ出して【見極める】という意味であれば問題ないはずだ。
私が一番好きな【ポジティブなネガティブ】フレーズは、ドラッカーのこれ。
不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強み に集中すべきである。無能を並みの水準にするには一流を超一流にす るよりもはるかに多くのエネルギーと努力を必要とする
出典:『ドラッカー名言集 仕事の哲学』P.F.ドラッカー 著、上田惇生 訳/ダイヤモンド社
好きな事なら苦もなく取り組めるし、目的が何だ、手段がどうだと考えることすら無駄な気がする。為末氏も似たようなことを述べている。
才能のある人は、練習の一部は娯楽になっている可能性がある。しかし、才能のない人たちにとってみたら、練習は苦役でしかない。
出典:『諦める力』為末大 著/プレジデント社
人によって努力が喜びに感じられる場所と、努力が苦痛にしか感じられない場所がある。苦痛のなかで努力しているときは「がんばった」という感覚が強くなる。それが心の支えにもなる。ただ、がんばったという満足感と成果とは別物だ。さほどがんばらなくてもできてしまうことは何か。今まで以上にがんばっているのにできなくなったのはなぜか。そういうことを折に触れて自分に問うことで、何かをやめたり、変えたりするタイミングというのはおのずとわかってくるものだと思う。
出典:『諦める力』為末大 著/プレジデント社
為末氏はもともと100メートルの選手で、中学3年の時には中学ランキングで1位になっている。
しかし高校に入ってからは伸び悩み、「努力しても100メートルでトップに立つのは無理かもしれない」という感覚を味わい、ハードルに転向する。
一時期は「割り切った」「諦めた」「逃げた」というネガティブな感覚を持ち続け、葛藤し、その気持ちを人に言わずに隠しておくことが大きなストレスになっていたという。
私の経験
私も次元こそ違うが、同じような感覚を味わったことがある。
小・中・高校と絵が得意で図工や美術の時間はちやほやされていた私。
でも大学(工業デザイン学科)に入ったら全く通用しなかった。
基礎を地道にやろうと思った時期もあったが、為末氏の言う【苦役】に感じてしまった。
山積みの課題(制作物)をこなすだけで精一杯。
頭に思い描いたイメージを表現する能力では全く歯が立たなかった。
そのうち、高校までは好きだった描くことや制作することが、劣等感を感じることにつながり、楽しくなくなってしまった。その後、私はデザイナーになることを「諦めた」。
デザイナーが無理なら、「デザイナーを使い倒す企画担当者になればいいのだ」と改心し、メーカーの企画担当として就職することができた。
「仕方ない」自分の「仕方がある」ことに目を向ける
結びの部分で為末氏はこんなことを言っている。
「仕方がない」僕はこの言葉に対して、もう少しポジティブになってもいいような気がする。「仕方がない」で終わるのではなく、「仕方がある」ことに自分の気持ちを向けるために、あえて「仕方がない」ことを直視するのだ。人生にはどれだけがんばっても「仕方がない」ことがある。でも、「仕方がある」こともいくらでも残っている。努力でどうにもならないことは確実にあって、しかしどうにもならないことがあると気づくことで「仕方がある」ことも存在すると気づくが財産になると思う。そして、この世界のすべてが「仕方がある」ことばかりで成り立っていないということは、私たち人間にとっての救いでもあると思う。
出典:『諦める力』為末大 著/プレジデント社
私はこの【仕方がある】ことを知ること、自分なりの【仕方】を見いだすことこそ、「明らめる」=「諦める」ことなのかも知れないと思った。
前向きに、諦める ― そんな心の持ちようあるのだということが、この本を通して伝わったとしたら本望だ。
出典:『諦める力』為末大 著/プレジデント社
と本書を締めくくる為末氏の「諦める」という言葉には、ネガティブさはみじんも感じない。
私たちはこの「諦める力」を見いだす(明らめる)ことができさえすれば、きっと救われるのだろう。
次作『逃げる自由』で明かされた振り返り
第2弾となる『逃げる自由』(諦める力2)で為末氏は、前作『諦める力』をこう振り返っている。
僕がこの本で言いたかったのは、最終的に勝つための「手段」として、努力の方向性を変えるということだった。努力して怒られる人はいないし、夢を追いかけて批判される人はいないが、努力は報われるとは限らないし、夢はかなうとは限らない。だから、勝てる可能性が限りなく低いところで頑張り続けるよりも、少しでも可能性が高いところで勝負することを考えたらどうだろう──そんなメッセージを投げかけた本だった。
出典:『逃げる自由』為末大/プレジデント社
前作に対して「あなたのような立場にある人が言うべきではない」という批判もあったと明かしている。
為末氏が「前向きな諦め」を語ってくれたことを私は好意的に受け止めているが、全ての読者がそうではないようだ。
第2弾のタイトルは『逃げる自由』。
心が弱っているときは言葉のとおり「逃げ」てもいいし、「前向きに諦める」ことが「逃げ」だというなら、それはそれでいい。
要は自分の考えかた次第である。