『壁はきっと越えられる ―夢をかなえる晩成力』鈴木明子 著/プレジデント社
元フィギュアスケート選手の鈴木明子氏が摂食障害になってしまった経験を明かす。スケートどころか歩くのもままならなくなってしまった彼女。どのようにして前向きになることができたのか?
フォーマット | 紙/Kindle |
評価 | |
発行 | 2014年8月 |
出版社 | プレジデント社 |
著者 | 鈴木明子 @Mariakko2010 – Twitter 鈴木明子オフィシャルブログ「shantiな日々」 – アメブロ 鈴木明子 – Wikipedia |
1985年生まれ(執筆時:29歳) 6歳からスケートをはじめ、15歳で全日本選手権4位となり注目を集める。10代後半は体調を崩し、大会に出られない時期もあったが、2004年に見事復帰。2010年バンクーバーオリンピックで8位入賞。2012年世界選手権で銅メダル(27歳で世界選手権メダル獲得は日本最年長)。2014年ソチオリンピックで初めて正式種目となった団体のキャプテンを務めて5位入賞、個人戦では2大会連続の8位入賞。 |
鈴木氏が摂食障害になってしまったのは、大学生の時にひとり暮らしを始めた頃。過剰な体重管理がきっかけで、身長161センチの鈴木氏はこの時、わずか32キロになってしまったそう。
ジャンプは三回転どころか半回転がやっと。フォアからバックへターンしただけで転んでしまう……。 冗談ではなく、初心者と大差ありません。しかも、それまでそれなりの成績を残してきている私の情けない姿は、周囲の好奇の的です。そんなゼロどころかマイナスからの再スタートという現実は、思ったよりもはるかにつらく厳しいものであり、母にもしばらくは電話で愚痴や弱音ばかりこぼしていました。
出典:『壁はきっと超えられる』鈴木明子/プレジデント社
治療を続けて半年後には氷に乗ることができたものの、当時の鈴木氏に母親は
「スケートも大学もやめてもいい」
と言っていたそう。練習を再開したものの、思うように滑れない日々が続くと
「また滑れるようになっただけで幸せじゃない」
こう声をかけたと言う。鈴木氏はこの母親の言葉で
「大好きなスケートが滑れるようになっただけでじゅうぶん。あとはオマケのようなもの」
このようにポジティブに考えられるようになったのだ。
そしてようやくふっきれた鈴木氏は、6歳から身につけてきたスケートの技術をあらためて学び直そうと決める。
すると、練習に対する考え方や姿勢が変わり、プラスに作用した。
- ひと通り経験済みの技術なので、初めて習得するより大幅に時間短縮して成長できる(悪い気がしない)
- 昔身につけた技術を再び習得し直すことにより、練習する意味や理由がよくわかるようになる
- 落ちてしまった筋肉をスケートに必要な理想的な形で付け直すことができる
母親の支えがあってこそ、ここまで鈴木氏が前向きになれたのだと思う。
しかし、あそこでフィギュアスケート選手としての自分を、いったんリセットしたおかげで、私は強風にも負けない柳の枝のような強さを手にすることができました。それゆえアスリートとしての寿命が延び、二度もオリンピックに出場できたのです。人より時間がかかったから、遠回りなのではありません。ゴールに到達するまでの時間や道のりは人によって違うのです。それに人生全体から見たら、二年や三年の遅れなんて誤差のうちでしょう。つまるところ、それが遠回りかどうか決めるのは自分しかいません。人に何と言われようと、自分がこれは必要な時間なのだと思っているなら、それは遠回りではないのです。
出典:『壁はきっと超えられる』鈴木明子/プレジデント社
フィギュアスケート選手に戻ろうとすると辛い。歩くのがままならない状況では、ハードルが高すぎる。そんな時の母親の言葉はどんなに有り難かっただろう。
私たちも生きることに疲れてしまうことがある。
そんな時はとことんまでハードルを下げて、一歩ずつを階段をのぼっていくしかない。まずは今の自分を認めて、許してあげよう。そして、一歩、また一歩、階段をのぼれた自分を褒めてあげよう。 → 自分

