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①【参考文献】が明記されている本がなぜ【誠実】に作られた本だと言えるのか?

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この記事では、本をパラパラとめくるだけで【誠実】に作られた本(著者)かどうかを見極める方法となぜ【誠実】だと言えるのか、その理由についてご説明します。

なるとし
なるとし
【誠実】に作られた本を見極めるポイントは何だと思いますか?

はじめに、結論を言います(記事タイトルに書いてありますが)。

【参考文献】が明記されている本こそ【誠実】に作られた本です!

そして、【誠実】に作られた本は読者のためを思って作られているので、(売れるかどうかは別として)良書である確率が高い、というのが私の持論です。

※2020年に出された【参考文献】が掲載されている本の事例については、こちらにページを分けましたので、別ウィンドウでご参照いただきながらお読みください。

それでは、なぜ【参考文献】が明記されている本が【誠実】に作られた本だと言えるのか、ご説明していきたいと思います。

【参考文献】が明記されている本がなぜ【誠実】に作られた本だと言えるのか?

【参考文献】なんて、いちいち気にして見てないよ!

という方も多いと思いますが、これを機にぜひ確認してみてください(残念ながら、この確認は現物の本を手に取れる、リアルの書店でしか使えない方法ですが)。

【参考文献】が明記されている本がなぜ【誠実】に作られた本だと言えるのか?

ひと言でいうと・・・

なるとし
なるとし
【参考文献】を明記するのは労力に見合うメリットがないのに、わざわざ行われている本だから 

だと思います。過去に出された既刊書籍に対して敬意を示す気持ちがあるかないか、著者や出版社側のモラルや姿勢が問われる部分だからです。

執筆マナーとして、引用文献を明記するのは当然です。

しかし【参考文献】となると話は別。

【参考文献】を明記している本は、このブログテーマである【疲れた心が楽になる】テーマの本やビジネス書に関して言うと、非常に少ないのが実状です。

以下、仕事術をテーマに1冊分の原稿執筆(注意:商業出版には至らず)を行った経験と出版社の方との実際の会話をもとにした考察です。

【参考文献】を明記する行為は、なぜ労力に見合うメリットがないのか?

理由は3点あると思います。

【参考文献】の明記が労力に見合わない理由

  1. 過去に出された本を調べ尽くすことがほぼ不可能
  2. 明記しなければならないという厳格なルールがない
  3. 明記することが本の評価や売り上げにつながるわけではない

過去に出された本を調べ尽くすことがほぼ不可能

厳密に言えば、「【参考文献】を明記するのが大変」なのではなく、「【参考文献】を挙げる(特定する)のが大変」なのです。

年間約7万点出され続ける書籍(テーマを絞ったとしても数百~数千点)を追いかけ続けるのも至難の業。新刊書籍を追いかけずとしても、過去に出された既刊書籍を調べ尽くすのもほぼ不可能と言えます。

専門分野や特定テーマのプロフェッショナルであれば可能では?

と思われるかも知れませんが、読めば読むほど先人たちのコトバが自分のコトバのように錯覚してしまうのです(経験談)。だから、執筆中に

「このメッセージは自分のオリジナルだっけ?」

と迷うことが多々あります。著者が既刊書籍をしらみつぶしに探して、比較検証するための膨大な労力を割けないのが現実でしょう。

なるとし
なるとし
それでも【参考文献】を載せている著者がいるのはなぜでしょう? 

3パターンあると、私は考えています。

A. 自然と【参考文献】がリストアップできているのであまり苦労していない場合

市役所職員や国家公務員などを経て大学教授となった中野雅至氏が著書(2013年)で述べた言葉をご紹介します。

自分で書くことを前提に読書すると、他人の文献などは所詮、自分の論文のための参考資料だと見なせるようになる、というメリットがあります。

出典:『ビジネスマンが大学教授、客員教授になる方法』中野雅至 著/ディスカヴァー・トゥエンティワン

感覚的には、論じようとするテーマの本を新旧問わず読みあさっていくうちに、自分のオリジナルの視点やメッセージが研ぎ澄まされる・・・

おのずと執筆原稿が既刊書籍と差別化されていき、結果的に読み漁った本の一部が【参考文献】になっていく、ということだと思います。

私が仕事術の本を出そうと必死に執筆していた時、まさにこの感覚でした。

多読家として、また幅広いジャンルの著者としても名の知られている、樺沢紫苑氏(実際の【参考文献】はこちら)はまさにこのパターンではないか、と推察されます。樺沢氏の本で【参考文献】が掲載されていない本を私は目にしたことがありません。

B. 商業出版の企画を通す上で必要となる場合

新人著者の場合などは特に、商業出版の企画を出版社内で通す上で必要となります。厳密には【参考文献】を問われるというよりも

  • 類書に当たる本はどれか?
  • それらの類書がどれだけ売れているのか?

これらの点が企画段階で問われるのです。

仮に、新刊企画の視点やメッセージが斬新だったとしても、出版社からは必ず類書との差別化ポイントを訊ねられます(私が出版社に企画を持ち込んだときもそうでした)。

この質問に答えられない著者や企画は失格です!

なぜなら、そのテーマ(市場)における、著者としての自分やその企画内容のポジショニングを把握できていないことになるからです。

類書=【参考文献】というわけではありませんが、類書との差別化ポイントを挙げる以上は、新旧の既刊書籍を調べる羽目になります・・・

というより、著者の立場としては、自信満々に書いた後に読者から「それって〇〇さんの本でも書かれてますよ」という指摘は絶対受けたくないのです(恥ずかしい!)。

ちなみに、金髪アフロの精神科医&産業医として話題となっている、井上智介氏(実際の【参考文献】はこちら)の場合は、まだ2冊しか本を出していませんので、新人著者の部類に入るかも知れません(どちらの本にも【参考文献】が明記されています)。

※井上智介氏が自ら【参考文献】の掲載を行ったのか、出版社側に求められたかどうかは不明です。

C. 労力に関係なく【参考文献】を掲載するのは当然、掲載しないのは先人たちの著書に対して不誠実だと考えている場合

厳密にA、B、Cを分けにくいところではありますが、【参考文献】を掲載している本(著者)はいずれかに当てはまると思います。

明記しなければならないという厳格なルールがない

明記することが本の評価や売り上げにつながるわけではない

論文の場合については後述しますが、一般書籍について【参考文献】を明記しなければならないという厳格なルールがありません。

書き手にとっては、先人たちの著書に感謝の気持ちを込めて【参考文献】に明記することは、先人たちに敬意を示すことなのですが、明記するかどうかは著者や出版社のモラルに委ねられていると言っていいでしょう。

出版社はさておき、著者であればおのずと【参考文献】を掲載しよう、という気持ちになるのが当然にも思いますが・・・

【参考文献】を明記している本の方が少ないのはなぜか?

以下のような苦しい出版社側の事情が大きく影響しているように思います。

  • 編集者に対して、新刊企画の発行点数ノルマを課す出版社が多い
    → 詰め切れないまま出さざるを得ない状況で本作りをしている
  • ベストセラーが出たら、その著者に「なんでもいいから書いてもらう」的な本作りをすることが一般的

つまり、企画から発売までの期間を極力短くしなければいけないので、【参考文献】に対する意識が希薄(労力を割いてまで明記する必要なし)になりがちなのではないでしょうか。

大半の読者が【参考文献】を求めていないという実態もあり、著者や出版社だけを責めるのも心苦しいところは多少あります。

しかし、私含めて本をたくさん読む人にとって、【参考文献】は有難い情報です。他社の本の情報が掲載されている点も興味深いですし、読んだ本の「親」みたいな存在じゃないですか!?

出版社は【参考文献】の明記について何とも思わずとも、著者の方には「親」にあたる先人たちの著書はしっかり明記して、敬意を示して欲しいですね。

参考までに、論文の世界ではどのように語られているか、ご紹介したいと思います。

論文の世界における【誠実さ】

一時期、某研究者による研究成果・論文における捏造やコピペがメディアを賑わせました。

東京大学では、論文における【誠実】ではない例について、次のように述べられていたりします。

【誠実】ではない論文の例

  1. 怠慢
    論じているテーマに関わる重要な文献を参照していない
  2. 剽窃(ひょうせつ)
    あたかも自分の発見や見解かのように扱い出典を明記しない
  3. 無視
    先行研究がすでにあり知っていながら故意に言及せず無視する

参考文献:『言葉を大切にしよう――論文・レポート作成の心得 2013』東京大学大学院人文社会研究科・文学部 著

①については、誰かが既に言っていることを繰り返す過ちをなくすために、どこまでが常識かを見定めることの大切さについて触れています。

②は試験での「カンニング」や万引き・泥棒と同等の不正であり、③は先行研究に対する軽視であると強いトーンで戒めています。

読者の私たちが手にする一般書籍は論文とは違いますが、著者の方々には多少なりともこれらを意識して(モラルを持って)いただけると嬉しく思います。

※「おまえは何様だよ」という批判は受け付けません! 読者ですから 汗

そうすれば、easyな本が生まれず、本の数が減るので、私たち読者の本探しや良書との出会いがスムーズになるのではないかと考えています。

ただ悪意のある場合は責めるべき姿勢だとしても、過去の本や類書を読み込んでいる(先行研究を行う)うちに、いつの間にか先人たちの主張が自分のものになってしまうことは多々ありそうです(私たちもブログやSNSなどで悪意なくやってしまいがち)。

この懸念に対するヒントが以前に読んだ本にありましたので、ご紹介します。

論文は、先人の研究を批判的に乗り越えることでつくられる。そこでまずは、先人の研究をしっかりと読み込まなくてはならない。そして重要な点を引用しなくてはならない。そのうえで、分析・批判をして自分の考えを出していく。それが論文である。

そのため、十分に読み込んでいると、先人のコトバが自分のコトバになることがある。しかしそれは、コピペとはいわれない。コピペであるかどうかは、その論理展開にある。コトバばかりではなく、論理まで先人のものでしかないなら、それはコピペである。

だから論文には、必ず自己主張が必要になる。とはいえ、実際のところ、他者のコトバと自分ののコトバを切り分けるのは容易ではない。それだけに、自分の文書には注意してほしい。どこにあなたがいるのか、それが問われる。

出典:『最新版 大学生のためのレポート・論文術』小笠原喜康 著/講談社

論文の話ではありますが、コトバで自己発信する以上は、できる限り【誠実】に対応していきたいですね。

買って損した!

と感じる【二番煎じ・三番煎じ】本は、読者の私たちにとって、はた迷惑でしかありませんが、全ての【二番煎じ・三番煎じ】本が必ずしもそうではありません。

同じテーマの本でも後から出た本の方がいいというケースはありそうです。

【二番煎じ・三番煎じ】本にも価値がある

中には【二番煎じ・三番煎じ】本を肯定的に捉えた主張もあります。弁護士の木山泰嗣氏は著書の中で、次のように述べています。

売れている本なので買ってみたら、「知っていることばかり」、 「○○に書いてあったことと似ている」 と思うことがあるかもしれません。

けれど、過去からいわれてきた発想を書いた本でも、存在価値がある場合があります。世の中の人がみな読書家ではないからです。

その売れている本を読むことで、知識そのものを得た読者もいるはずです。 学校の先生に習っても全然わからなかったことが、「人気講師の講義を受けたらよくわかった」 ということがあります。

この講義の価値は、教えている内容そのものにあるのではありません。教える内容そのものは昔から存在しているからです。その講師は 「わかりやすく教えるのが上手だった」。 視点の設定や概念の整理が上手だった。そこに価値があるのだと思います。

出典:『弁護士が書いた究極の読書術』木山泰嗣 著/法学書院(2008年)

専門書や学術系の本は<論文>に近いので、<論文>のマナーに従う必要があるのかも知れませんが、ビジネス書や実用書などの一般書は別の価値が求められているのですね。

非常に興味深い主張です。

【参考文献】を掲載する意義

先ほど触れた中野雅至氏は【参考文献】について次のように述べています。

参考文献の掲載された新書がお勧めです。新書を出すくらいの著者は一般的に名前が確立されています。そういう専門家が提示している参考文献ですから 「これは必須文献だ」と判断できます。とにかく、何かを書くつもりで参考文献を買うのであれば、巻末に参考文献のついたものをお勧めします。

出典:『ビジネスマンが大学教授、客員教授になる方法』中野雅至 著/ディスカヴァー・トゥエンティワン

中野氏はこの著書で、先行研究の大変さとともに、読むに値するか・しないかを判断する上で、【参考文献】の掲載有無の重要性を訴えています。

また出典は別ですが、教育の現場でも次のような動きがあります。

2022年度導入予定の新学習指導要領では、「アクティブラーニング」や「探求的な学びの視点」による授業が重要視されている。その対応策の1つとして新書を活用した「点検読書」授業を取り入れるケースが増えている。(略)

一方で新書によっては、参考文献が掲載されていないものが少なからずあるため、探求的な学びを問う視点で見ると「(テーマからの)広がりが生まれない」ことが課題であるという。

出典:『新文化』2020年11月5日号 「新書を活用 広がる『点検読書』授業」

子どもたちに限らず、興味のあるテーマなら「アクティブラーニング」(主体的、対話的で深い学習)したいと思いませんか?

そのためには、出版業界でルール化されずとも、モラルを持って【参考文献】を掲載してくれる著者や出版社が増えることを願いたいですね。

もっと言えば、個々の本の巻末に載っている【参考文献】がデータベース化されて、WEB上で照会・検索できるようになればいいのに! と思います。

そうすれば多くの本に【参考文献】として紹介されている、本当に読む価値のある本がわかるに!

【疲れた心が楽になる】本にも参考文献が必要か?

という疑問には

「そもそもしんどくて本を読みたくない」

という声が聞こえてきそう・・・

ですが、高確率で自分に合った本(良書)に出会えるようにするためには、やはり著者や出版社の方々にはぜひ、新書に限らず【参考文献】の掲載はお願いしたいと思います。

※「おまえは何様だよ」という批判は受け付けません! 2回目 汗

【参考文献】が載っていると、芋づる式に本が買えて、濃い情報が入ってくるので、とても便利なんですよ! 「読書家」の人にとっては。

なるとし
なるとし
興味津々じゃありませんか? あの樺沢紫苑氏が執筆するときに読んだ【参考文献】なんて 

好きな著者が【参考文献】に挙げているってだけで、信頼性アップ。リコメンドの言葉がなくとも良書だという説得力ありまくり・・・ 全部買ってしまおう、なんて思っちゃったりします。

やっぱり、私は本オタクかもしれません 汗

まとめ

(結論)
【参考文献】が明記されている本は【誠実】に作られた本(著者)であり、読む価値のある良書である確率が高い!

(理由)

  • 論じているテーマについて、既刊書籍との違いや自らの新しい視点・メッセージについて比較検証されている
  • 既刊書籍や先人の著者たちに感謝、敬意を示している

結果として

  • 著者の視点やメッセージが他書と差別化されて、内容が研ぎ澄まされて質が上がる!
  • 出す本に対して【誠実】な姿勢や思い入れが生まれる!

それでも労力を割いて【参考文献】をのせると・・・

著者・出版社にとって【参考文献】の掲載は労力に見合うメリットがない

(理由)

  1. 過去に出された本を調べ尽くすことがほぼ不可能
  2. 明記しなければならないという厳格なルールがない
  3. 明記することが本の評価や売り上げにつながるわけではない

【参考文献】の事例と活用したアイデアをこちらに書きましたので宜しければ、お立ち寄りください。 ↓↓↓

②【参考文献】の事例(巻末への掲載は【誠実】に作られた本だという証)この記事では、本の巻末に掲載されている【参考文献】の具体例をご紹介します。 巻末に【参考文献】が掲載されている本がなぜ【誠実】に作...
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