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私がうつ病になってしまった理由

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<弱さ>を克服した幼少時代

幼少時代から重度の喘息持ちだった私は、運動もままならず、テレビを見て笑うだけで発作を起こしてしまうような、体の弱い子供でした。

風邪をこじらせては肺炎を起こして、何度も入院しました。
たまに幼稚園に行ってはいじめられて、楽しい思い出は何もありません。

転機となったのは、小学校1年生のときに通い始めたスイミングスクール。
走るだけで発作を起こすのに、両親は「喘息に効くらしい」と私に水泳をやらせました。

最初の頃は息継ぎができなくて、息苦しい状態。次第に息継ぎができるようになっても、泳いでいる最中に喘息の発作が起きるので、息苦しいのは変わりません。

常に窒息寸前になりながらレッスンを受けていました。

毎回拷問のように感じて、両親に辞めたいと訴えましたが、辞めさせてもらえません。

しかし、嫌々(ある時は泣きながらも)続けていると、少しずつ泳げるようになり、いつの間にか選手コースにまで進んでいました。小学4年生のときでした。

それから、自分に自信が持てるようになり、勉強も水泳も(中学・高校では部活、現在もマスターズスイマーとして現役)そこそこ上の方のレベルで活躍できるようになると

「自分はすごいんだ」
「(死ぬ気で)努力すれば何でも叶えられるんだ」

というあやうい感情が芽生えました。

良くも悪くも、この頃に【完璧主義】【上昇志向】のベースができあがってしまったように思います。

【がんばらない】をポジティブにとらえた本のピックアップ【がんばらない】(努力しない、一生懸命やらない等)をポジティブにとらえた本をピックアップしました。【あきらめる・逃げる】については少々ニ...

私がうつ病になってしまった理由

20代の頃は、ヒット商品の開発に携わったり、EC(イー・コマース)サイトの立ち上げに参画したりと、自分でも満足のいく経験を積んでいました。

30歳になった頃、私は現在の会社に転職(3回目)をしました。
入社前は

「自分は仕事がデキる。見せつけてやる!」

と自信満々で意気込んでいました。

ですから即戦力になれない現実に直面した時は、「この会社では通用しないのではないか」と正直焦りました。

連日の深夜残業に休日出勤・・・ 働いても働いても会社に貢献している実感がわきません。

家ではほぼ食べて寝るだけの生活。へとへとで何もする気が起きず、会社に行くだけで精一杯。

ちょうど息子が転職直後に生まれたこともあり、育児に関われない(妻のフォローを何ひとつしてやれない)罪悪感も芽生えていきました。

会社と家の両方で、プレッシャーと貢献できない自責心が蓄積していき、しだいに精神的に追い詰められていきました。

【あきらめる・逃げる】をポジティブにとらえた本のピックアップネガティブにとらえられがちな【あきらめる】という言葉。言葉のとおり【諦める】という意味と仏教由来の言葉で【明らめる】(物事を明らかにする...

会社に行くのが辛くて、妻の前で思いっきり泣いてしまったことがあります。それは、初めて心療内科を受診してから1カ月ほどたった日のことでした。

当時、息子は1歳。妻も専業主婦でしたから、私は通院しながらも、なるべく心配をかけまいと無理して強がっていました。

その日の晩、どうにも気持ちを抑えきれなくなった私は、ついに心の叫びを妻に打ち明けてしまったのです。

「もう働けない、どうしていいか分からない・・・」

私は泣き崩れてしまいました。
もう我慢の限界でした。

まるでダムが決壊したかのように、涙がとめどなく溢れて、わんわん泣いてしまいました。でも妻は幼い赤ん坊を安心させるかのように、私を抱きしめてくれたのでした。

これが私にとって初めて

自分の<弱さ>を受け入れて、曝け出した瞬間

でもありました。

それから約1年間は、休職しては復帰する・・・ の繰り返し。まともに働くことができませんでした。このころは

「会社にとって全く必要のない人間」
「家事や育児に関われず、家でも役立たずな人間」

と思い込むようになり、すっかり自信をなくしてしまいました。しまいには

「自分は存在する(生きている)価値のない人間」

こう考えるようになり、何度か生きることをあきらめようとも考えました。

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思い出した初心

しかし思えば、この時から妻に重荷を背負わせてしまったのかも知れません。

どちらか一方が崩れてしまえば、残された片方は踏みとどまり、強気で支えていくしかありません。

結局、私は1回の休職では回復しませんでした。

私は自分以外の人間は皆、精神的に<強い>と都合よく考えていました。しかし、妻は普通の人間でした。

繰り返す休職による収入減、私の不規則な生活リズム、そして育児ストレス・・・

これらは支えてくれていた妻の心をも少しずつ蝕んでいったようです。妻自身も心身に不調をきたしていることを知ったのは、しばらく後のことでした。

「とんでもない過ちを犯してしまった・・・」

そう思いました。そして、強烈な自責の念に襲われました。

自分の行動を振り返ればそれも当然です。

早起きのリズムを作る訓練というのを口実にして、開店前からパチンコ店に並んでいたこと、抗うつ薬を飲んでいるのに「ほどほどのアルコールは大丈夫」と正当化し、気分に任せてお酒を飲んでいたこと、体調不良を理由に好きなだけ寝ていたこと・・・

挙げればきりがありません。
妻に甘え続けたサイテーな夫であり、頼りにならない父親・・・(資格なし)

病気を理由に働かず、自堕落な生活をしていた私をよそに、自分の身を削ってまで、私以上に病気に対して真剣に向き合ってくれた妻。

突如として浮かんだシーンが2つありました。

妻の両親に初めて挨拶に行った時に「必ず幸せにします」と誓った時のこと、産婦人科で息子が生まれる瞬間に立ち会い「この子を一生守っていく」と胸に刻んだこと。

これらがフラッシュバックのように脳裏に蘇ってきました。

「自分はいったい何をやっているんだ!」

この思いが強く込み上げてきた瞬間、目頭が熱くなったのを今でも覚えています。

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